津止め破りと馬荷差押え
どんな伝承か
慶応二年二月、赤須・上穂両町は町内限りの米穀津止めを申し合わせた。米価が騰貴しはじめたためである。ところがこの申し合わせを破って米を持ち出す者が現れ、大沼嘉蔵自身が馬荷を差し押えるという事件が起きた。米穀は諸国とも高値で、四俵ほど、少しは抜けても飯田方面からの引き合いが絶えることはないと大沼日記は言っており、実際に米価は四月末には三俵半、九月にはこの年の不作と相俟って二俵三斗まで高騰した。二月の段階で自ら津止めに踏み切ったのは、前年の吉五郎一件の教訓に外ならなかったであろうと本文は述べている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌・近現代(市誌編纂時期))
本文は長野県飯田市周辺の伊那谷で慶応二~三年(1866~1867年)に発生した「お札降り」現象を記録した市誌編纂資料である。伊勢大神宮のお札が降ってくるという奇瑞現象として始まったこの事象は、やがて群衆的狂乱を引き起こし、「ヤッチョロ踊り」として組織化された宗教的かつ政治的な運動へと発展した。掛声「長土薩」は倒幕勢力(薩摩・長州・土佐)の隠喩と解釈され、単なる民間信仰現象ではなく幕末維新期の社会変動と深く結びついた群衆行動と考えられる。