第二次長州征伐の人馬大動員
どんな伝承か
慶応元年閏五月七日、第二次長州征伐に向かう幕府軍が三河の赤坂宿を通過した。その当日だけで動員された人足は一万〇七〇〇人、馬は二〇〇疋の多きにのぼった。このときは一〇〇か村の当分助郷が指定された宿駅もあったといい、文字どおり三河一国の大動員であった。赤坂宿の定助郷四二か村が慶応二年九月に出した嘆願書には十年前との比較が載っており、この十年間で人足は約八倍、馬は約三倍に増えている。人馬の徴発に沿道の村々はいっせいに悲鳴をあげた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。