御油宿助郷八か村の江戸出願
どんな伝承か
慶応三年二月、御油宿の助郷八か村が惣代三名を江戸へ送った。豊川庄屋文書「萬歳萬書留」によれば、西大平・牧平・大代・大崎・小田淵・西方・豊川の村々が連合し、二月二十日に惣代三人が出立、二十六日に江戸へ着き、三月六日に出願している。惣代は大平村、大畑村または牧平村、小田淵村の仙之丞から一名ずつ選ばれた。豊川・小田淵・西方は御油宿に近いが、他はかなりの遠隔地で以前から休役を願っていた。六月には彦次郎と西大平村の組頭庄右衛門も休役願いのため出府している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。