御油宿・38枚の御札降り
どんな伝承か
三河国御油宿では、慶応三年八月四日から二十一日までの間に、伊勢神宮・秋葉山火防・豊川稲荷の三種の御札が合わせて三八枚降った。宿の年寄・名主・問屋は連名で「乍恐以書付御届申上候」とする届書を赤坂役所へ提出し、その次第を報告している。この文書は『豊川市史』に紹介され、のちに大久保友治の論考によって広く知られるようになった。八月四日の降札を発端とするこの事例は、三河における早い時期の御札降りとして注目された。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。