御馬村の助郷困窮嘆願
どんな伝承か
慶応元年九月、三河国宝飯郡御馬村の村役人が連名で年貢の減免を願い出た。御馬村は三河湾に面した漁村で、馬が一匹もいないのに他村の馬を雇って赤坂宿の助郷を勤めてきたが、近年その賃銭が高騰して困窮していた。そのうえ前年には浜名湖の新居の渡しのために渡船四艘を割り当てられ、小さな漁船しかないため一艘五両で代船を雇い、二度で計四十両を負担している。この年は天候不順で前年比四割五分の不作となり、村役人らは米二十五俵の年貢減免を願い出た。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。