舞木村の助郷勤高半減嘆願
どんな伝承か
慶応三年四月十五日、舞木村は道中奉行が岡崎へ出張する機をとらえて、岡崎宿と舞坂宿の助郷勤高を半分に減らすよう嘆願した。このとき山路村の代表も同様に嘆願している。梅坪組合村の月番はあらかじめ知らされていなかったとしてその不都合をなじり、二十一日に提出した嘆願書と村絵図の写しを出させた。舞木村では二月に作夫食米十六俵を願い出て七俵が認められており、村内で手当している極難渋者は十七人に達していた。四月の施行では十人に対し米三俵二斗が配られている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。