四郷村の小作騒動と拝借金村方騒動
どんな伝承か
慶応二年十一月二十九日、三河国四郷村では小前の者四〇人が畑方小作年貢の用捨引きを求めて村役人に迫り、村役人が必死に説得する騒ぎがあった。その後、村の庄屋は金一〇〇両の拝借金を願い出て七〇両が認められたが、前年の年貢皆済のための借金にあてようと、他の村役人にも話さず単独で流用したため疑惑を招いた。翌三年二月一日、小前百姓は観音堂に集まって協議し、挙母藩の介入で庄屋は謹慎と御役御免となった。小前はなお不服を申し立て、七〇両を残らず小前に貸し付けることで落着した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。