小瀬川の戦、進軍期日ノ事
どんな伝承か
慶応二年丙寅六月、徳川幕軍は防長征伐と称して大兵を四境に迫らせた。小瀬川口では井伊・榊原が先鋒となり、六月十四日を期して岩国に打ち入ろうとした。長州軍の遊撃軍一隊は先に山口を発し、十三日の薄暮には関戸駅に至り、小瀬峠へ進出して夜の明けるのを待って芸地へ打ち出ようとした。すでに小瀬川を渡ると、ちょうど幕兵が本道と大竹から来るのに出会い、砲撃して一戦で幕軍を撃破し、玖波駅まで追討した。岩国兵もこれに交じって進撃した。この日は毛利元就公が逝去した元亀二年六月十四日と同じ日で、日を考えて進軍したわけでもないのに大勝利を得たのは神助に似ていると記す。
原典より
慶応二年丙寅六月、徳川幕軍、防長征伐ト称シ、大兵、四境二迫ル。—— 岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊)
岩国藩士・広瀬喜尚(仁兵衛、天保頃の博識家)がまとめた郷土怪談集を核に、明治期に今田純一(散木園主人)が二十余条を増補(追加)し、さらに藤田葆が古老聞き取りの『続怪談録』・歴史的瑞兆を集めた『実事談』・幼童の変死記録を集めた『変死部』を継ぎ、巻末に静間密の怪火・投石怪五話を付録とした、岩国・錦見・横山周辺を舞台とする総合怪異録。