伊勢ヶ岡童生焼死(群児招魂碑)
どんな伝承か
慶応二年十一月十八日、小瀬口の戦が止んで岩国がしばらく平穏であった頃、錦見の童生三十余人が伊勢ヶ岡に登って遊び戯れていたところ、昼八つ時前に火が起こり、傍らの枯草に燃え移った。満山は萱原の枯草で、この日は少し風が吹き、須臾の間に火は四方へ延び蔓った。絶頂にはその年の夏の小瀬戦争の陣営が数か所そのまま残っていたので、童生らは火が及ぶのを恐れ、燃え上がる火焔の上の段に登って並び、防ぎ消そうとして瞬く間に焔煙に包まれた。即死九人、帰宅後に死んだ者七人、いずれも十歳前後であった。陣営は無事であった。同年十二月、焼跡の谷口の池ヶ廻の路の上に群児招魂碑が建てられ、玉乃世履が撰文した。
原典より
慶応二丙寅年秋、小類口戦争既に止戦となり、岩国暫平穏なり。—— 岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊)
岩国藩士・広瀬喜尚(仁兵衛、天保頃の博識家)がまとめた郷土怪談集を核に、明治期に今田純一(散木園主人)が二十余条を増補(追加)し、さらに藤田葆が古老聞き取りの『続怪談録』・歴史的瑞兆を集めた『実事談』・幼童の変死記録を集めた『変死部』を継ぎ、巻末に静間密の怪火・投石怪五話を付録とした、岩国・錦見・横山周辺を舞台とする総合怪異録。