挙母藩領の御札降り
どんな伝承か
挙母藩領では慶応三年九月十三日から十二月二十日ころまで御札降りが続いた。「慶応三年梅坪村組合七ヶ村年中御用留」や「慶応三年小原四ヶ村井打越村・福谷村御代官役所御用留」などの記録によれば、合計二十七種五十九枚の札が降り、第一位は伊勢大神宮で十二枚、第二位は秋葉三尺坊大権現で六枚だったという。梅坪村組合七か村分だけでも二十種三十四枚の降札一覧表が別途作成されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。