山本謙斎日記の助郷蜂起記録
どんな伝承か
吉田藩の時習館教授方であった山本忠佐(謙斎)の日記の、慶応三年十月十九日の項にはこうある。今年はさんざんな世柄で人々はなお乞食のようである、上からも手当が種々下されるけれども人心は穏やかでない、所によっては一俵九分などという値もあり、それゆえ人々は行く末に餓死すると思っている。さらに、助郷の出入りが所々にあり、なかでも吉田助郷一万五千石はとりわけやかましく、たびたび蜂起して押し寄せ、入牢の者もおびただしい、と書き留めている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。