吉田宿の御札降りと鳥の目撃
どんな伝承か
慶応三年七月十八日の夜、吉田宿で御札降りがはじまった。もっとも記録は食い違う。羽田野敬雄の書留では八月一日前後からのように読め、そこには下地や船町を皮切りに吉田の町中へ次々と降り、御神酒や甘酒がふるまわれ、餅が撒かれ、俄が出て大いに賑わったとある。牟呂八幡宮の森田光尋の記録は、牟呂に続いて船町のつぼやの裏へ大神宮の御祓が降ったと記す。遠江の夏目卯八郎が書き留めた聞き書きには、鼠色をした鳩ほどの鳥が御札をくわえて降りてくるのを確かに見た者が幾人もいたとあり、それは萱町での出来事だったらしい。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。