羽田村での在中教諭
どんな伝承か
吉田藩の藩校時習館には「在中教諭」といって農村地帯に出講し、農民を教諭する習慣があった。一八五五年(安政二)二月には三河羽田村の羽田野敬雄宅でおこなわれ、二〇〇人余が聴講した記録が残る。「ええじゃないか」のさなかの慶応三年九月にも領内各地で在中教諭がおこなわれており、講義の内容は『孝経』と『前訓』の講釈、それに「神君之御事」であった。これは従来の村落秩序の再建をはかるものであった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。