巻いたフィルムに念写された剛健質素
どんな伝承か
大正七年八月十一日の午前、兵庫県尼ヶ崎市の実科高等女学校の講堂で念写の実験会が開かれ、女学生のほか来賓三百人ほどが集まった。市長の櫻井忠剛が乾板とフィルムの監督を務め、念写は巻いたままのフィルムに行うと決まった。題は抽籤で選ぶことになり、来賓が出した市役所と病院の門標に、三田光一の願いで講堂の扁額にある剛健質素の四字が加えられ、これが当たった。三田は壇上で四分間統一してフィルムの中を説明し、続く一分四十秒の統一で念写を終えた。写真師の酒井五百次郎が立会人の前で現像すると、四文字がはっきり現れたという。
原典より
剛健質素(第三十六圖)の四文字が鮮かにフイルムに現はれた。—— 三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉)
『三田光一の念写と透視能力に関する研究記録』は、福来友吉の著作から霊能者三田光一を扱う節を抜き出したものである。大正六年の通信による透視実験と、同年の名古屋の県会議事堂、大正七年の尼ヶ崎実科高等女学校、昭和四年末から翌年元日の日本地下水協会、昭和五年の京都嵯峨と牧野家での念写実験を、立会人や乾板の封じ方まで詳しく報告する。地下水協会と嵯峨の実験には著者の感想が付き、前節の透視実験の末尾、霊の幻化の章の序論、ホープ氏の節の冒頭も含む。