神戸から念写した馬の絵と秋堂の文字
どんな伝承か
昭和四年の十二月三十一日、日本地下水協会の社長青木止貞や理事長佐々木正一郎らは、大阪市東区の野村ビルデングにある事務所で福来友吉と会し、一ダースの乾板を買って皆で封をし、金庫に納めた。三田光一には翌元日に神戸の自宅から念写するよう頼み、題の一つを英国の霊媒ホープの肖像とした。正月三日、三田は統一の最中に堺の佐々木宅で馬の絵を見たこと、英国のホープを訪ねたこと、蘆屋の青木宅をのぞいたことを報告した。福来が持ち帰って現像させると、一から三枚目に馬の絵、五枚目に人物、六枚目に景色、十二枚目に青木の号の秋堂の文字が出て、報告どおりだったという。
原典より
上方から第一、第二、第三の三枚の乾板には馬の絵が現はれた。—— 三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉)
『三田光一の念写と透視能力に関する研究記録』は、福来友吉の著作から霊能者三田光一を扱う節を抜き出したものである。大正六年の通信による透視実験と、同年の名古屋の県会議事堂、大正七年の尼ヶ崎実科高等女学校、昭和四年末から翌年元日の日本地下水協会、昭和五年の京都嵯峨と牧野家での念写実験を、立会人や乾板の封じ方まで詳しく報告する。地下水協会と嵯峨の実験には著者の感想が付き、前節の透視実験の末尾、霊の幻化の章の序論、ホープ氏の節の冒頭も含む。