福地源一郎が見た西宮の狂乱
どんな伝承か
幕臣の福地源一郎は、慶応三年十一月二十九日に軍艦で兵庫に着き、糟屋筑州にしたがってすぐ大坂へ向かう途中、摂津西宮で「ええじゃないか」の騒ぎに出くわした。福地は『懐往事談』に、西宮に至れば市中は舞踊に狂呼して人足を一人も得ることができず、糟屋が憤然として宿役人を叱咤しても、宿役人はただ恐れ入って低頭平身するばかりで肝心の人足を集めることはできなかったため、その夜は西宮に一泊し、翌日ようやく大坂に着いたと記している。福地自身は、この御札降りを京都方の人々が人心を騒がせるために施した計略だと解釈していた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。