稲荷の正面に便所を置いた虎丸御殿
どんな伝承か
昭和十四年ごろ、語り手の親戚にあたる天鬼将軍こと薄という名物男が、牛込から中野へ移ってきた。中野駅前を南へ行って虎丸御殿と聞けば分かるという、浪曲家の二代目吉田奈良丸が晩年に建てた風変わりな家である。狭い庭を一面の池にし、大きな石灯籠や虎の間、上段の間まで設けた造りで、変わりすぎて買い手がつかなかった。裏の廊下に出た語り手は、庭の立派な豊川稲荷の社の真正面に便所があるのに気づき、拝むものの鼻先に不浄を置いてはいけないと、移すよう勧めた。薄はもっともだと応じたが、その四日目に外出先で頓死した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私は幽霊を見た(東雅夫(編者)・昭和中期~後期(推定1970年代~1980年代))
私は幽霊を見た=怖い怪異体験(東雅夫編)/人魂・鬼火・狐火/機関車・電車の怪/各地の幽霊目撃談/不気味な怪音と怪異