姿不見橋と蛇身になった娘小笹
どんな伝承か
中野長者と呼ばれた鈴木九郎は、金を隠す場所を知られまいとして、荷を運ばせた奴僕を帰り道で次々に斬り殺した。犠牲は十人に及び、亡骸は橋の下へ蹴込まれて流されたという。屋敷内で酒食をふるまわれたまま殺された者もあった。恨みを呑んだ者たちの怨念はやがて長者の一人娘小笹に祟り、娘は蛇身と化して十二社の池に姿を消す。以来、荷を負って餘戶橋を渡る姿は見えても帰る姿は見えない、娘の亡骸もこの橋のあたりで見つからなかったと語られ、人々はこの橋を姿不見橋と呼んで気味悪がった。花嫁の輿が通るのを嫌う習わしもここから生まれ、大正二年には中野町の浅田政吉が清秋式を行って言い伝えを鎮めようとした。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代))