鶴ヶ峯合戦の跡
どんな伝承か
身に覚えのない謀反の疑いをかけられた畠山重忠は、秩父の菅谷館から鎌倉へ急いだが、その道中鶴ヶ峰で北条義時率いる三万余騎の大軍に遭遇した。同行していた重保の従者から、重保が既に討たれたことを知らされた重忠は、老臣たちの帰城の献策を退けてこの地での決戦を選んだという。合戦の跡地である二俣川と帷子川の合流点付近には、鎧ヶ淵や首塚、首洗井、重忠が地に挿した矢が繁茂したという『倒さ竹』など、多くの遺蹟が今に伝わっている。
原典より
己を欺いて死地に誘う使者とも知らず、領城管谷を發つて一路鎌倉へ急いだ畠山重忠は、漸て入間も過ぎ、府中を後に、萬葉集に言う眉引山を越えて、元久二年(皇紀一八六五年)六月二十二日の午の刻(正午頃)に、鶴ヶ峰へと差し掛つたので…—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代))