紫煙をくゆらす王仁三郎
どんな伝承か
一九三五年十二月八日未明、大本教への大弾圧が始まった。出口王仁三郎は、前日から松江市赤山にある島根別院の大祭のため松江に来ていた。午前四時、島根県下の武装警官隊約二百八十名が島根別院を囲み、四時半に決死隊が突入した。踏み込んだ警官は寝床の下にピストルを探したという。王仁三郎は身を起こし、妻すみのつけた火で煙草を一服吸った。周囲に警官が立ち信者もかけつける緊張の中、特高課長はピストルを握る格好を示し「騒ぐな、騒げば聖師さんの生命がないぞ」と叫んで信者を封じた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。