13歳で教壇に立った天才児
どんな伝承か
王仁三郎は幼いころの病気のため三年遅れて九歳で小学校に入ったが、めきめき進級し四年後には教師をも追い抜くほどになった。授業中、担任が大岡忠相を「タダアイ」と読んだのを、彼はすかさず「タダスケ」が正しいと主張した。無知を指摘されて面目をつぶされた教師は激怒して折檻し、以後も罵詈雑言を浴びせていびった。たまりかねた王仁三郎は竹の先に人糞を刺して教師の腰へ突き刺し、そのために退学、原因をつくった吉田という教師も退職処分となった。ところが校長は二日後、吉田の代わりに彼を代用教員に採用した。十三歳の豆先生は生徒に評判がよかったが、教職員の嫌がらせに嫌気がさし一年後に辞表を出した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元・武田崇元・大本研究・現代(著述))
武田崇元『出口王仁三郎の霊界からの警告―発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相』。大本の聖師・出口王仁三郎の生涯と予言を、霊界のプログラム(型)として読み解く。