出口ナオの筆先との出会い
どんな伝承か
穴太での活動に見切りをつけた喜三郎は、園部へ移る途中、船井郡に入る虎天堰まで来て金光教の祭壇のある茶店に腰をおろした。行者姿の喜三郎に女主人が神様のことをする人かと尋ね、神を見分ける役だと答えると、奥から文字を書いた三、四枚の半紙を出してきた。茶店は八木の人力車夫福島寅之助と妻ひさが博覧会の見物人を目当てに街道筋へ出した店で、ひさは綾部の出口ナオの三女であった。喜三郎は仮名を連ねた筆先に目を通し、世の中が替わるという言葉に強く共鳴して、綾部行きを約したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。