ナオ、掌をしゃぶり飢えを凌ぐ
どんな伝承か
放火の疑いで連行され放免された出口ナオを、婿の大槻鹿造は狂人として座敷牢に閉じこめた。座敷牢の生活は前後四十日に及んだが、この間、大槻はナオにろくに食事も与えなかった。ナオは神に教えられて、自分の掌をしゃぶってひもじさを凌いだという。ナオはまた、神の命ずるままに落ちていた釘を拾い、柱に文字を書きつけた。もともと無筆で糸ひき場の番号も満足に読めなかったナオの刻んだ、ひらがなの文章らしきもの――これが大本開祖・出口ナオの『筆先』のはじまりであった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。