国信村狐騒動の裁許
どんな伝承か
国信村の狐騒動は御郡代直々の吟味を経て裁許が下された。孫四郎は狐を憑けた覚えはないと否認したが、村方へ出した一札などから狐持ちらしく紛らわしい申し分だとして手錠を掛けられ、のちに汗入・会見・八橋の三郡から追放された。孫四郎を狐だと他村まで触れ歩いた吉郎兵衛と宗兵衛も、村中を騒がせた不届きとして妻子ともども三郡追放となった。祈禱の礼に三百文を受けた祈禱師伝六は矢津村で入牢したが、隠さず白状したので六月十六日に出牢を許された。祈禱師とみられる快順は、先年追放された身で伯州へ戻っていたため、作州・伯州両国からの立退きを命じられた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(1953頃))
速水保孝『つきもの持ち迷信の歴史的考察―狐持ちの家に生れて』(柳田國男序)。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、つきもの持ち迷信による差別・人権侵害を内側から告発し、その類別と歴史的背景を考察する。