倉敷から連島へ広がった踊り
どんな伝承か
備中では浅口郡の船穂が十二月の初旬、倉敷が十二月十日からで、踊りは年を越して一月十日ごろまで続いた。そこから板倉・宮内・庭瀬・連島といった土地へ次々に広がっていったと『連嶋町史』は伝える。近隣では笠岡に天から生首が降ったという話が残り、井原では一月三日に「ええじゃないか踊り」があったという。備前の岡山藩は翌慶応四年正月、札の降った家へ群れ集まって踊りを企てるのは不埒であるとして、咎める旨の触れを出している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。