山田の町々が競った参宮の山車
どんな伝承か
一度目の参宮を終えた山田では、町ごとに山車を繰り出す競演が催された。評判をとったのは田中町中世古の「富士の巻狩」で、御師の春木太夫を中心に源頼朝以下二百余人の武者、さらに猪・狸・狐・鹿・兎に扮した者を加え、総勢三百五十人の行列になったという。浦口町は「羽衣」を山車に仕立てて町中が三保の漁師の姿となり、小川町は神功皇后の子と武内宿禰、中川原町は常磐御前、小木村は忠臣蔵の討入りをそれぞれ趣向とした。十一月に入ると山田奉行や津の藤堂藩が禁令を出したが、酒宴と騒ぎを戒めるにとどまった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。