慶應の御蔭參り拔參り
どんな伝承か
慶應三年八月から十二月にかけて、伊勢では五度目となる御蔭参り抜参りが行われた。文政十三年の前回から38年後にあたる。今回は全国規模の群参ではなく、地方ごとに神異奇瑞の噂が広まったことによるもので、明和・文政期の大流行とは性質が異なっていたという。慶應三年十月には伊勢の中島町堤や高柳、西河原などの町々に御祓や金の大黒像などが降ったと伝えられ、十一月一日には惣参宮が行われて、若衆が趣向を凝らした衣装で練り歩いたと記録されている。
原典より
第五回の御蔭參り拔參りは慶應三年の八月に始つて十二月に終つた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末))
概観篇では御降り(御札降り)に関する騒擾、伊勢神宮への御蔭参り・抜参りを慶安・宝永・明和・文政・慶應と時代別にたどり、慶應のええじゃないか、阿波のええじゃないかへと展開。幕末阿波(徳島)の御札降り・群集乱舞・世直し的民衆運動を、各事例の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅した民俗・世相史。