各地の扮装
どんな伝承か
『ええじゃないか』の踊りでは、各地でさまざまな扮装が見られた。板野郡鳴門村あたりでは、参詣のときは白装束、踊りのときは振袖や角力取り姿となり、顔に墨で目や口を描いた。板東町では髪を切って角力取り髷にし、腰巻に脇差を差して踊る女もいた。松茂村は白装束や三つ紋が多く、阿波郡土成村では裸や千早、花嫁の恰好をした者が大勢いた。美馬郡脇町では男が女に女が男に扮し、三好郡では白無垢に千早、柄杓を腰に差し御幣を振って踊る者があったという。
原典より
尚、扮装の主なるものにして、諸書及び古老の談にあるものを記さう。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末))
概観篇では御降り(御札降り)に関する騒擾、伊勢神宮への御蔭参り・抜参りを慶安・宝永・明和・文政・慶應と時代別にたどり、慶應のええじゃないか、阿波のええじゃないかへと展開。幕末阿波(徳島)の御札降り・群集乱舞・世直し的民衆運動を、各事例の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅した民俗・世相史。