木曾谷を北へ進んだ札降り
どんな伝承か
美濃から木曾谷に入った流行は、信濃側ではまず三留野宿に及び、十月十一日に札が降った。馬籠はやや遅れて二十八日から始まり、妻籠宿からは札降りを祝う水戸浪士の仮装行列が繰り出して、見事だ派手だと評判になる。十一月四日には村じゅうが年寄も子供も女中まで浮き立ち、大黒屋が旦那衆と若い者を招いて振る舞った。騒ぎは十九日まで続く。木曾福島宿へは十一月の初めに降り、この流れは三日前後に松本へ、さらに北信濃へと広がっていった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。