IV 河野至道尸解仙となる
どんな伝承か
宮地厳夫の語りによる。仙道修錬に志した河野久(道号至道)は、東京で官途に就いた後ふたたび大阪に帰り、西区紀伊国橋西北詰の粕谷治郎方に寓して修練を続けていた。明治二十年四月下旬から百日の断食に入り、七月末まで九十七、八日は水さえ一切断っていたという。満行の両三日前、寓所の主人に氷水を頼み、「私もいま両三日にて満行になりますが、急に行かねばならぬことになりました」と言って机に俯した。主人が後に見ると眠るように動かず、医師を迎えたときにはすでに臨終であった。宮地はこれを普通の死ではなく尸解の仙去であると判じた。
原典より
生前ずいぶん型破りの生活を送った河野久だが、その死後についても甚だ奇異な後日譚がつきまとうている。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)