III 仙人修行者の市井生活
どんな伝承か
明治九年の夏、教部省の命により大阪で皇道の講義をしていた宮地厳夫のもとへ、医師長沢左仲の紹介で仙人修行者の河野至道が訪ねてきた。河野はかつて講義を聞いて発心し、犬鳴山や葛城山で修行を積んだ人物である。三日二夜滞在しても葛湯以外は一切口にせず、腹を打つと太鼓のような音がしたという。至道はのちに大阪西区紀伊国橋西北詰の粕谷治郎方に寓居し、修練を続けていたが、明治二十年七、八月頃に同地で死去した。宮地はその死にざまを聞き、至道が尸解仙となったのだと悟ったと語っている。
原典より
『然るに此の河野が、―――と宮地大人の講演はながながと続くのである。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)