第五 結論
どんな伝承か
嵯峨での念写実験で、筒井町長は六枚目の乾板に心経殿を念写するよう求めたが、現像すると六枚目には何も現れず、七枚目だけが全面真黒に感光していた。写真師は、他の乾板が無感光で七枚目だけがこう感光するのは写真術上あり得ないと報告した。聴衆席にいた京都祇園の浜豊彦が、霊の力が強すぎたためだ、赤血塩とハイボの混合液で減力すれば現れると言い、その通りにすると弘仁十三年の百ヶ日修法当時、四十九歳の弘法大師の姿が現出した。福来友吉は、霊魂不滅を証明するために大師の霊が自ら姿を乾板に現したものと結論づけている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・昭和(近代心霊研究史))
山本健造『念写発見の真相』を節単位で収録。念写(思念写真)の発見者・福来友吉博士の生涯と受難、千里眼事件(高橋貞子・長尾郁子の透視/念写実験)、弘法大師の御霊影をめぐる霊写実験(大師の御影・霊魂実在の証明法・霊地の発見・霊写の実験・結論)、福来学説の現代化と六次元原理・念論、福来博士の飛騨での幼少期から東京帝大・宣真女学校・高野山大学を経て記念館建設に至る軌跡を、各節の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅。