福来博士の略歴
どんな伝承か
福来友吉は明治二年一月三日に高山市で生まれ、明治二十四年に斐太尋常中学校、翌年に第二高等学校、明治三十二年に東京帝国大学を卒業した。明治三十九年に催眠の心理学的研究で文学博士の称号を受け、明治四十一年に東京帝国大学文科大学助教授に任じられたが、大正二年に免ぜられた。大正八年に高野山宝城院で修業し、大正十年に大阪宣真女学校長、大正十五年に高野山大学教授となる。昭和三年にロンドンの国際心霊大会へ出席して念写研究の大要を発表し、昭和二十年三月に仙台へ移住、昭和二十七年三月十三日に逝去した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・昭和(近代心霊研究史))
山本健造『念写発見の真相』を節単位で収録。念写(思念写真)の発見者・福来友吉博士の生涯と受難、千里眼事件(高橋貞子・長尾郁子の透視/念写実験)、弘法大師の御霊影をめぐる霊写実験(大師の御影・霊魂実在の証明法・霊地の発見・霊写の実験・結論)、福来学説の現代化と六次元原理・念論、福来博士の飛騨での幼少期から東京帝大・宣真女学校・高野山大学を経て記念館建設に至る軌跡を、各節の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅。