嫁入りが避けた不浄の橋の修祓
どんな伝承か
淀橋で斬られた下男たちの恨みは晴らされたものの、迷える亡魂は消えず、なお橋のたもとをさまよっているといわれた。そのため里の人々は淀橋を不浄の橋として忌み嫌い、嫁入りや婿入りの行列は必ず迂回して、上流か下流の橋を渡る習わしになっていた。これでは不便だとして、中野本町通りの浅田政吉が主催となり、大正二年十一月二十一日に荘厳な修祓の式を行い、あわせて近親の婚儀を機にこの橋を渡り通した。当日は近郷から見物人が押し寄せて橋のあたりは人で埋まり、著者もその一人だったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・昭和初期~昭和中期)