厳島明神
どんな伝承か
神本は三保から三隅に向かって子落のはずれの東一面の土地をいい、その東寄りの大奥に厳島明神が住んでいたという。今も神本に明神屋敷、明神原という地名が残る。明神は水の神なので毎日船で海に出たが、住居から森溝の船着場まで歩くのが面倒になった。住居を移そうにも好きな植木が茂っていてできず、思案の末、神本全体を海にしようと思い立って手伝い人に話した。それが百姓に漏れ、飢え死にすると恐れた百姓たちは、その夜のうちに明神の住居の周囲に火をつけた。機を織っていた明神は織りかけを手に着のみ着のままで飛び出し、三隅から矢原、都茂、匹見と走り、中国山脈を越えてある海岸に着き、沖の島へ渡ってそこを厳島と名づけて住んだ。これが安芸の宮島だという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。