三粒田伝説
どんな伝承か
土佐岡藤左衛門は寿永四年、平内大臣宗盛の手に属して屋島の合戦に参じた。壇ノ浦の戦に惨敗した後、同じ平家の落人である斉藤・大谷の両氏とともに当町へ逃れ、道川から赤谷を北上して、ついに匹見川源流の芋原に潜んだ。当時の芋原あたりは人跡未踏で、巨樹が生い茂り、いばらが所狭しと茂る狐狸のすみかであった。彼が試みに稲の種を三粒まいておくと、秋には十本の稲が美しく実っていた。これに自信を得た藤左衛門はこの地を永住の隠れ処と定め、庵を結んで土地の草分けとなったという。種をまいた土地は今日、橋詰の田圃に三粒田として伝えられ、七村にも草分けを物語る三粒田が安庄屋敷にある。
原典より
土佐岡藤左衛門は寿永四年平内大臣宗盛の手に属し、馳せて屋島の合戦に参じた。—— 日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。