柿本人麿
どんな伝承か
歌聖柿本人麻呂は同地に生まれ、少年時代を送り、晩年は再び石見の国府に留まって、高津の鴨山で生涯を閉じたと伝えられる。綾部家はもと大和に住んで柿本氏に仕え、柿本氏が石見に下った時に従って美濃郡小野郷戸田(現、益田市戸田町)に住み、代々語家と称した。柿本某が語家の女を寵愛して一男子を得たのが人麻呂であったという。人麻呂の死後、その出生を記念して今日の戸田柿本神社が建造されたといわれ、また綾部家は死没地の鴨山から遺髪を奉じて帰り、家の側に埋めて墓を建てた。墓は綾部家の前にあり、方三メートルほどの土壇を盛り、周囲に石の柵をめぐらし、壇上の礎石に高さ約一メートル、幅三十センチの自然石を墓標として据えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。