墓石から文字削り取り
どんな伝承か
一九三六年(昭和十一)五月、京都府の指示で綾部・亀岡の大本教施設の破壊がはじまり、その苛烈な破壊は開祖・出口ナオの墓にも及んだ。当局の憎悪はおどろくほど執拗で、信者の墓石からは『宣伝使』などの大本に関わる文字が削り取られた。ナオの四女出口りょうの墓石は、側面に『出口直子氏四女』とあったのを、『直子』の二字だけ四角く削り取られた。大本教の十曜の神紋のある手水鉢は、紋だけを欠き取られた。死者を安らかにしておくという人としての礼儀すら失って、弾圧者は力にまかせて墓地を荒らし、墓石を傷つけて憚らなかった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。