工事跡に現れた葬衣の女
どんな伝承か
石名坂と石垣丁を結ぶ細道のあたりは、かつて民家もない藪地で、円福寺の墓地の裏へ続いていた。明治の中ごろ、市がこの一帯の道路を改める工事を行い、人夫の一人が草に隠れた泥沼へ落ちて腰まで沈んだ。沼を埋め立てて工事が終わって数日後、夕暮れにそこを通った者が二、三人、髪を振り乱した白い葬衣の女が何か訴えたげに立つのを見たと言い出した。塩竈明神の火事で焼け死んだ遊女の霊だという噂も立ったが、近くの弓ノ町の遊女の墓石が工事で埋められた恨みだとも言われた。請負師が掘らせるとそれらしい墓石が出たので、寺に頼んで手厚く弔うと、女は現れなくなったという。
原典より
昔、石名坂と石垣丁とをつなぐ細い路があった。—— 宮城県史 民俗編(宮城県史シリーズ・昭和中期(推定1960-1970年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮城県史 民俗編(宮城県史シリーズ・昭和中期(推定1960-1970年代))
宮城の民間信仰と禁忌(宮城県史民俗編)/禁忌を破る祟りと火玉/河童・狐狸の怪/年中行事と俗信/地域の幽霊・妖怪伝承