神原村の子殺し・間引きの隠語
どんな伝承か
近世中期以後の農民生活は悲惨をきわめ、農民は子を産んでも養育できず、堕胎や赤ん坊殺しが常習的に行われた。当時、男の子を殺したときは「川へあそびにやった」といい、女の子を殺したときは「よもぎつみにやった」という流行語があるほどだったという。著者は、こうした堕胎や殺児が年貢米生産の労働力の増加を妨げた点で、農民の封建領主や地主に対する消極的な反逆であったと述べる。続けて、著者の郷里である加茂町の神原という部落から、三十年ほどの間に十四軒が村を逃げ出した例が挙げられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(改訂版))
速水保孝『憑きもの持ち迷信―その歴史的考察』の改訂版。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、つきもの持ち迷信による差別を内側から告発し、その歴史的基盤を考察する。序章で研究に志した動機・問題の核心・結婚に直面しての苦悩を語り、人権を脅かす実例として狐持ちにまつわる隔地心中、次々と破談になる三兄妹、隠岐の人狐解消決議、犬神が乳児を食ったと絶交、堆肥小屋に外道を飼うを挙げる。