IV 神官中山縫殿之助と歌人平賀元義
どんな伝承か
中山縫殿之助は国学に造詣が深く、岡山藩主池田茂政のために神典を講じるほどの人物で、井上正鉄門下の伊藤要人がもたらした吐普加美講の中心に祭り上げられた。彼が奉仕する天王社すなわち布勢神社は芥子山の麓の大多羅にあり、笠井鎮夫が子供の頃にもなお村の信者が集まってトーカミエミタメを連唱していたという。縫殿之助は幕末の万葉調歌人平賀元義の門弟で、師弟の交わりは深かった。元義は道ばたの百姓が皇室に無礼な言葉を口にしたのを聞いて刀を抜こうとし、縫殿之助らがやっと押しとどめたこともあった。
原典より
井上正鉄の命によりひそかに江戸から派遣されて来た宣教者伊藤要人は、もと髪床屋兼スパイを業としていたぐらいだから、才幹は別として、学問の方は大したことはなかったであろう。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)