子落
どんな伝承か
島根県浜田市に伝わる話によれば、身重の和泉式部は金周布浦で出産しようとしたが、浦人たちに不浄として追い払われ、以来この浦は「かなしが浦」と呼ばれるようになった。式部はやむなく唐鐘の山(さんがたけ)まで来て子を産み、その場所は産ヶ嶽と呼ばれている。水のないその地で赤子を袂に包み、大歳神社のそばの坂を降りたことから、この坂は袂が坂と呼ばれ、磯辺に出た際には子供たちに声高に囃し立てられたため、そのあたりは言高の磯と名付けられた。式部はさらに下府の生湯、周布の夜泣き橋を経て、三隅の子落で我が子を置いて旅立ったと伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。