子落
どんな伝承か
歌人和泉式部が身重のまま筑紫へ赴こうとして石見に入り、生湯の里で女児を産んだ。しかし疲れ果てた旅の足手まといと、心を鬼にして石田川の橋の袂に愛児を捨てた。六年の後、筑紫からの帰りにこの里へ辿りつくと、山裾の茅屋で老婆が綿を干していた。式部が「この綿売るか」と問うと、その家で遊んでいた五、六歳の女児が「うるかとは川の瀬にすむ鮎のわた」と答えた。素性を尋ねて橋の袂で拾った子と知り、我が子の髪を撫でて泣きながら連れ立って都へ帰った。この女児が後の小式部内侍だという。老婆の家は「平」と称し、屋敷跡は今は神社の境内で、住んでいた人は平の字を姓として平野と称したと伝える。
原典より
歌人和泉式部が懐妊の重い身ながら遙々筑紫に赴くため石見に入った。—— 日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。