子落
どんな伝承か
妊娠中の和泉式部は那賀郡下府で女子を産んだが、乞食女と思われてそこを追われ、石見へ向かった。ここで産湯を使わせたので今もウブユという地名が残る。出産後、口がまずいので桃を農夫に所望したが断られ、以来その桃は苦くて食べられなくなったという。式部は浜田へ向かう途中の山で髪を洗った。今の神在阪は本当は髪洗い阪だという。周布まで来ても誰も宿を貸さず、乱れ橋の下で泣き明かし、橋の欄干を削って含ませると赤子はすぐ泣き止んだ。今も夜泣きに効くという。三隅まで来ると貧と病で身体が衰え乳も出なくなり、子を紅絹の袂に包んで捨てて九州へ向かった。六年後、帰る道で子を連れた老婆に会い、我が子と知って共に京へ上った。この子が小式部で、捨てた所を子落しという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。