子落
どんな伝承か
和泉式部は身重の身で、九州肥前にいる父藤原資高を訪ねるため山陰道を下った。途中の下府で陣痛が起き、浜田の袂の里で女児を産む。近くの小川で産湯を使ったので、この地を生湯と呼ぶようになった。式部は後年その折の悲しさを「憂き時は思ひぞ出ずる石見潟袂の里の人のつれなさ」と詠み、高田山の麓では「鳴けや鳴け高田の山のほととぎす」の歌を残した。折居の力石を通り荒磯で老夫婦の宿を借り、なお旅を続けたが、子が泣きやまず思いあまって捨てた。ここを子落という。一夜、八會の仏護庵に籠って子の無事を祈った。一年後に戻ると子は正法寺で育てられており、迎えに行くと顔が式部にそっくりであったという。その子が後の小式部だと言われている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。