柿本人麿
どんな伝承か
柿本人麿は文武天皇の慶雲二年、石見の掾に任ぜられ、これが石見と縁を持つ始まりであったと伝わる。那賀郡の国府では石見娘子という愛人を得たが、都に残した妻の依羅娘子が病み、その看護が縁で石見娘子と親しくなったという。和銅元年、朝集使として都に帰った人麿はその暮れに再び石見へ下り、依羅娘子との別れに歌を残した。のち高津へ出て病みつき、和銅二年に世を去ったと伝えられる。浜田城二の丸の雁木大明神のあたりを「人丸逝去の地」とする説もある。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。