西村文右衛門の神経障害を治す
どんな伝承か
日清戦争中の明治二十七年十月、出口ナオは山家村の農民西村文右衛門の神経障害を治した。西村は病気で二年ほど引きこもっていたが、ナオは病人を横たえ起こして右手をその腹に、左手を背中にあて、鬼門の金神に祈って体をさすった。十日ほどで全快した西村と妻は礼参りを願い出た。定まった家もないナオは、かねて相談していた金光教亀岡教会の大橋のもとへ夫婦を伴った。綾部への教線伸張の好機をつかんだ大橋は大いに喜び、ナオのもとへ布教師の奥村定次郎を送ることを決めた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。