み手代の病気なおし
どんな伝承か
関東大震災のさなかの一九二三年(大正十二)、出口王仁三郎は九州を巡教していた。九月七日、綾部にもどった王仁三郎は、九州の杖立温泉から土産にもちかえった竹の杓子百六十本に、一本ずつ歌を記し、署名して拇印を捺した。これが『み手代』のはじまりで、やがて聖師王仁三郎の『み手代』は、病気なおしに広く用いられるようになった。この前後、保釈中で行動に制約の多い王仁三郎は、妻で二代教主の出口すみに全国各地への巡教のほとんどをゆだね、すみの巡教は大本教の新路線を全教に定着させるうえで大きな効果をおさめた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。