歯痛を五分で止めた最初の病気なおし
どんな伝承か
高熊山から戻った喜三郎は、村の友人斎藤仲一を説き伏せて仲間に引き入れ、斎藤家の奥座敷に教会所を構えた。斎藤は、一派を開くにはまず病を治して霊力を見せる必要があると考え、近くの村から二年越しの歯痛に苦しむ岩森八重という女を連れてきた。喜三郎は身を清めて神に祈り、女の頬へ軽く手を当てた。すると痛みは五分ほどで止まったという。鎮魂の術による最初の病気なおしとされ、喜三郎の評判は一気に高まった。以後、教会所には病人や不幸な身の上の人が次々と訪れ、喜三郎は穴太の喜楽天狗さん、金神さん、稲荷さんなどと呼ばれるようになった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。