漁村の狐持ち
どんな伝承か
松江市近郊の某浦の狐持ちも明治三〇年代に指定された。文禄の頃、玄海灘で難破した秀吉の軍船の水夫八人が断崖に漂着し、この浦に定着して分家を増やし、部落内婚で八〇戸に達したという。明治になって漁業権紛争が起こり、八戸の分家のうち二戸が多数派の一人を狐憑きに仕立てた。だが少数者が多勢を相手にしたため逆に自らが疎外され、狐持ちを大者、そうでない者を小者と呼んで、今では狐持ちのほうが優勢だという。
原典より
松江市の近郊某浦の狐持ちも、明治三○年代に指定された。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(1970年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(1970年代))
速水保孝『出雲の迷信』。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、出雲・隠岐・伯耆の狐持ち迷信を、家筋の系譜・近世史料・社会経済史の観点から徹底的に解明した憑きもの研究の集大成。第一章では自家が狐持ちとされた悲しみ・隔地心中事件・叔母の嫁入り口の差別を語り、第二章で憑き・狐憑き患者・人狐と狐持ち・おさき・くだ・いづな・とうびょうを概観する。第三章では犬神統の部落・上馬荷の人々・犬神使いの歴史・四国と豊後の犬神を追う。